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内藤文書の解題・付録

建築家の横河健さんからも今回の新国立競技場問題における内藤廣さんの文書について、ご意見が発表されていることを知りました。
あの横河さんが!と意外な印象でした。


横河健さんといえば一般メディアに顔を出されることも少ない建築家ですので、建築専門家以外の方にはなじみが薄いかもしれません。また、普段声高に持論を展開したり、また他者の作品性や活動に関して嘴を挟むといった方ではありません。
どちらかといえば、谷口吉生さんと同じようなスタンス。
建築家は作ったもんがすべてだから、、といった方です。

参考:
アンドウ?イトウ?本当に凄いのは谷口吉生
谷口吉生さんの新作レポート

実は、僕は20代前半の建築家修行時代に斉藤裕先生を通じ横河さんとは身近に接しさせていただいた時期がありまして、、
非常に印象深いエピソードがあります。

今から24~25年前のことですが、当時わたくしが在籍しておりました斉藤裕建築研究所で軽井沢で好日山荘という、木造でありながら曲面を大胆に使い、造船所で三次曲面のアルミ加工を施したデイビット・スミスの彫刻みたいな建築を工事中のころのことでした。

斉藤先生の数少ない理解者で親友である建築家の横河健さん椎名英三さんを招待し星野温泉で宴会をしたときのことでした。
横河さんは終始にこやかで、椎名さんは宴会番長として、
特に斉藤裕先生は外向きには無茶苦茶厳しい雰囲気で通っておりましたので、
我々所員が屈託なく斉藤先生と軽口を叩いたり平気で突っ込みを入れたりしている姿に非常に驚かれて、
「なんだ君たち、斉藤先生怖くないの?」とか聞かれたりして、
「いや、仕事上は怖いですけど仕事以外のことで理不尽なこと言う人じゃないんで、オフはこんな感じっすよ」と大変盛り上がっておりました。
宴もたけなわ、横河さんが明日はどうするの?と尋ねられ、
「当然朝一から現場っすよ俺ら都内の案件でも朝6時に現場行って事務所出社っす」
と息巻いてましたら、
横河さん「よし!じゃあ俺も明日行くぞ現場6時!」と
そのまま明け方まで温泉入ったりして騒いで目が覚めたら7時前!
慌てて現場行ったら、朝靄の中、二階の軸組の上に立つ人影が、、
マジ?横河さん!
「うん?君たち遅いな。薄明るくなる朝もやの中のこの建築は綺麗だぞ」と、
俺あんなに息巻いてて、結局寝坊したのに、、
横河さんカッケーと思ったものです。 
そういう人です。

横河さんは、初期の住宅のころも緑の中に建築が埋まりすぎて目立たなかったり、現代建築の景観論に取り組まれたり、歴史的価値のある建築の保存運動に関わられていても表立ってパフォーマンスしない。

建築家フォーラム - 「現代建築は『美しい景観』をつくれるか~思想と手法から

有楽町日比谷地区のまちづくりと三信ビル保存に関する提案


「交詢社•伊藤委員会に参加して」• • • • • • • • • • • • • • • • • 建築家 • 横河健

そういう人だということを念頭において次のメッセージをお読みください。

横河さんの文章です。

***************************

内藤廣さんのメッセージへ

新・国立競技場問題に対する内藤廣さんのご意見(反論)が掲載され、読ませていただきました。
この文章に少なからず落胆した諸兄も多いのではないでしょうか?

それはまず審査員としての反省がひとつもなかったことです・・・少なくとも設計条件(注)に対して、
無条件に審査に入ったとすれば、そもそもの立ち位置がおかしい。
(・・・でなければ、現在工事費を含めて縮小したから良いではないか? とする根拠が無くなる)
まずはご自分の反省から始めるべきだったのではないかと思うのです。

次に普段から環境についての発言 (問題意識)がないのに・・・今さら何を言っているのだ? との主旨が
述べられていることには呆れます。
景観、環境、ランドスケープについては多くの方々が・・・私自身にとっても1970年代から発言は続けていますし、
神宮の森に限っても、70年代の初めに個人的に神宮外苑の景観が、我が国では唯一と言って良い近代の都市景観・ランドスケープデザインが
なされている場所だと、私自身ある経験から気付かされることがありました。
・・・このことから20年以上の前のことですが、信濃町駅前の慶応病院・新棟(現2号棟)が新築され
絵画館前銀杏並木の景観を崩す(正面右奥に病院が大きく張り出すこととなり)事態になって以来、私は様々な場面の講演会ほか、
大学の受業でも取り上げています。すなわち、「景観(環境)とは、ひとつの合法的な建物によっても無惨な姿になるものだ」・・・
と自分で撮ってあるスライドで説明し続けています。

つまり、我が国とくに東京をはじめとする都市部では近代都市国家としてのランドスケープデザインがされている場所は数少なく、
皇居の周りと神宮外苑くらいのものなのです。すなわち何故か昔から天皇の周りだけは整備がされていて(京都しかり)、近代に入っての
都市景観に於いては一丁ロンドンに名高い丸の内。東京駅や皇居側・百尺規制による(今やこれも無惨)ものと並び、
神宮外苑の周回ランドスケープは英国のランドスケープデザインに習った近代遺産と言って差し支えないものなのです。

私は内藤さんの「今まで何もして来なかった」「問題意識すらなかった]と述べられていることに失望するとともに
腹が立ってきます。

次にザハの案について・・・内藤さんは一生懸命擁護されていますが、槇先生はじめ多くの建築家の意見では、
ザハのデザインについては何も問うていません。プログラムについての疑義ですからザハのデザインを擁護する必要も無いのです。
(また、このことは審査自体の経緯に文句を付けているのでもありません)

ただし、仮に市民からデザインの形態に疑問があったり、反対意見があっても、それは世界的に見て珍しいことではありません。
設計競技(コンペ)で勝っても市民の反対によって実施されなかった建築は数多くあり・・・市民の税金で作る公共建築であれば尚更です。
(なかにはザハ本人の例もあります)。
・・・これも民主主義国家の特性と行って良いのではないでしょうか?

ですから審査過程について守秘義務がと述べていたり、審査委員長の安藤忠雄さん以上のことは云えないと
おっしゃいますが、むしろ審査の中身のことより、そもそものプログラム策定者が誰で、どのような根拠によったものなのか?などなど
審査員としても本来公にすべきことがあるのではないでしょうか? つまり、「おかしなところはおかしいとして」今後明らかにして行けば、
内藤さんなりのスタンスに多くの方々の理解が得られると思います。

・・・安藤さんは「とにかく目立つ元気なものがエエんや・・・後は日建なり、日本の組織事務所の技術力で何とでもなる」
と言う程度のこと。こんなに反対が起こるとは考えていなかっただけではないのでしょうか?
内藤さんはご存知かどうか解りませんが・・・
(私は彼と別途ある事件を経験しています) 彼は関東を愛していません、(関東の建築家を憎んでいるほどです)
関東圏の美しい景観は私たちが守って行かなければなりません。

次に「一概に規模だけを問題視するのは早計です」とあったり、「日本を元気にする」・・・と云うくだりがありますけれど
・・・これらは問題のすり替えです。
規模については神宮外苑の「あの場所」に於いて・・・「近代日本を形づくった愛すべき希有な場所に於いて」は
と言っているのです。常識的に考えてみていただきたい・・・あの神宮外苑に8万人規模のイベントが月に一度はないと、運営が取れないと言われています。
(サッカーの一年に一度の大イベントである天皇杯決勝やラグビーの史上最高の入場者と言われた年でも6万人規模なのです)
8万人を呼ぶイベントと言えばロックコンサートくらいしかないのですが、神宮の森で毎月ロックコンサートですか?
(ですから、あの場所で15日の競技会をするのであれば、仮設の一時的な増築で良いのです。)

ザハのことでもない。解りやすい正義感でもない。さらには三陸と同調させる問題でもないと思うのです。

問題のすり替えをせず、真正面に捉えていただきたかった・・・。
これらが文章を読ませていただいて私が思ったことです。

建築家・横河健
日本大学理工学部

(注)設計条件の疑問
1) 巨大なプログラムの必然性について・・・
2) 設計者に神宮のランドスケープについての歴史及び周辺環境が知らされていない。
(内藤さんはじめ関東の建築家なら常識的に認識しているものでも)

このことは少なくとも審査員として疑問を提示すべきだったのではないでしょうか?


***************************

以上です。

内藤廣さんのメッセージへのページでは
建築家では、古市徹雄さん、元倉真琴さん、岩本秀三さん、遠藤泰人さん、浦田義久さん、篠崎好明さん、池上俊郎さん、宇野求さん、新井今日子さん、アルファキュービック創業者の柴田良三さんといった方々もこの問題について幅広い議論をされています。
より多くの方々が今回の問題を通じて、建築文化や街並み論、都市論、景観論に興味をもっていただき知識や思想を共有できるような機会になることを、心の底から願っています。
それこそが真の次のステップと考えています。

尚、この付録転載については森山個人が勝手にやっていることでして、横河さんはじめ関係者の皆様、建築家諸氏のみなさまとはなんの関係もないことを明記しておきます。

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内藤文書の解題8

内藤文書の解題8

内藤文書の解題7
内藤文書の解題6
内藤文書の解題5
内藤文書の解題4
内藤文書の解題3
内藤文書の解題2
内藤文書の解題1


索敵解読目標文の全体像を下図に示す。
緑色の部分、曖昧に迷彩されており、
ほぼ全域がジャングルとして自然の要塞みたいになっている点、
そのジャングルの全地域に大量のストローマン(案山子)が立ててある点、
各自厳重注意されたし。





上記文書から詭弁部分を取り除き、曖昧な表現である「でしょうか」「なりがち」「思っています」と取り除くと以下のようになる。

【建築家諸氏へ】
新しく建てられる国立競技場のことを聞かれる。
こちらとしてはいささか食傷気味だが、社会的な正義を唱える建築家たちの姿は是とすべき。
審査経過とその対応については明文化されてはいないが公式発表を越えた発言は可能な限り控える。
以下は個人の見解と危惧。以後、質問にお答えすることは控える。
広告代理店による情報発信があったことは反省点。
設計競技全体の在り方に関しては、今後に活かす議論。
不備を指弾する声もあるが、自省の弁から始めるべき。
そうでなければ設計競技はなくなる。

署名運動を繰り広げている建築家たちは、常日頃から神宮の景観を議論していたのか。
審査結果は、審査委員長によって取りまとめられたもの
(諸氏の言ってることは)招致が決まった今だから言えるきれい事だ。
おおいに危惧していることは設計者であるザハのやる気。
好き嫌いを越えた戦略的な発想で、ザハ生涯の傑作をなんとしても造らせるのが国税を使う建物としても最善の策だ。
署名運動にまで拡がりを見せると看過できない。
建築家の良識とは、その範囲のものか。
語られているのは「分かりやすい正義」。

要望書を待つまでもなく規模や予算調整に動いていた。
景観的にも絵画館から見てそれほど威圧感のないものになった。

わたし自身は、この建物に合わせて東京を都市改造する。
この場所の活用の仕方こそが、新しい東京を造る上での成否を握っている。
この国では、無駄遣いをやめる、節約が美徳。「分かりやすい正義」。
異議を唱える諸氏は、オリンピック招致を見送れば満足なのか、そう問う。

市井の建築家なのに権力の片棒を担いでいい気になっていると嫌悪の感情が見える。
批判のための理屈はいくらでも立つ。

神宮の外苑の景観など一顧だにしてこなかったのに正義の根拠を求めている。
新しい国立競技場を呑み込んでこそ、次のステップが見えてくる。


この中にもまだ恫喝や虚偽や詭弁のための導入(赤字部分)があるので、
取り除く。

【建築家諸氏へ】
新しく建てられる国立競技場のことを聞かれる。
審査経過とその対応については公式発表を越えた発言は控える。
以下は個人の見解と危惧。以後、質問に答えることは控える。
審査結果は審査委員長によって取りまとめられたものだ。
ザハに造らせるのが国税を使う建物としても最善の策だ。
この建物に合わせて東京を都市改造する。
この場所の活用の仕方が、新しい東京を造る上での成否を握っている。
新しい国立競技場を呑み込んでこそ、次のステップが見えてくる。


最後の次のステップってなんだろう?なんだろう?って考えていたんですが、
灯台もと暗し、文章の前後関係の入れ替えやってました。

この建物に合わせて東京を都市改造する。←これが次のステップ
この場所の活用の仕方が、新しい東京を造る上での成否を握っている。
新しい国立競技場を呑み込んでこそ、次のステップが見えてくる。

この場所の活用の仕方が、新しい東京を造る上での成否を握っている。

だから、ここに建つ新しい国立競技場を呑み込んでこそ、
次のステップが見えてくる。そのステップとは

この建物に合わせて東京を都市改造することだー!

「が正しい文意の流れでしたね~。山本さん!最後まで気の抜けない試合でしたね~。」
「そうですね。サブミッションあり大技あり、良い詭弁でした!」
「さあこれからはまさに自らが闘魂を燃やさなければならない!」
「闘魂は連鎖する!そんな時代ですね。」



そして、最終的なスケルトンは、

【建築家諸氏へ】
1.審査結果は審査委員長によって取りまとめられたものだ。
2.ザハに造らせるのが国税を使う建物としても最善の策だ。
3.この建物に合わせて東京を都市改造する。

これがこの内藤文書の3つの核です。
たくさんのストローマンやら迷宮のごとく構築された文章構造に共鳴効果を狙った同じ語彙の羅列に感情論で装甲してありましたが、
結構単純な内容でしたね。

結論として、何が書いてあったかというと、

「建築家諸氏に告ぐ、我々は安藤忠雄委員長が決めたザハの案を税金で建て、これに合わせて東京を改造するのだ。」

です。
凄い!総統閣下みたいな宣言文です。

これがあの文書の芯かあ、、、自分でもびっくりの結末でした。


いやあ、こうなったらですね。

ニコニコ動画というサイトがありまして、
そこには有名な「総統閣下シリーズ」っていうのがあるんですね。

何かにマジ切れしている人を嘘字幕で盛り上げるMAD動画っていうんですが、
それ、作ってみようかと思っているんです。
とりあえず先行予告編です。



とりあえずやりきった感あるんで、この件これくらいで終わっときます。






内藤文書の解題8

内藤文書の解題7
内藤文書の解題6
内藤文書の解題5
内藤文書の解題4
内藤文書の解題3
内藤文書の解題2
内藤文書の解題1

内藤文書の解題7

内藤文書の解題8

内藤文書の解題7
内藤文書の解題6
内藤文書の解題5
内藤文書の解題4
内藤文書の解題3
内藤文書の解題2
内藤文書の解題1



だいぶ読めるようになってきたと思いますので
ここからは一気にいってしまいましょう。

前回はマイクパフォーマンスを取りやめたところでした。


ここからは、さまざまな詭弁の技を繰り出すメインエベントが始まります。
赤コーナー、内藤文書。青コーナー、諸氏~ファイッ!

「さあ、始まりました。先ほどはタイムシフトという時間差攻撃の詭弁でしたが、
おっとー、今度は、なんだ?外国事例だー!!」
「山本さん、ここでいきなりスペインですが、、これは、、、」
「古館さん、よく読んでください、スペインではありません、バスクです。」
「なるほど~、さあ、そういったあたり、どのように詭弁を繰り出してくるのか!」
「今!ゴング!開始です。」



7.異世界の話 論点のすり替え4 権威論証

構文7-1 ゲーリー批判したサンセバスチャンの人をストローマン化
スペイン北部の街ビルバオに、フランク・ゲーリーの設計によるグッゲンハイム美術館が出来て二年ほどした頃、近くのサンセバスチャンで会議があり、次の日に訪ねたときのことです。夜になって、地元の建築家たちと会食になったとき、あの建物に対する印象を訪ねてみました。あの建物のことが好きか、というわたしの問いに対して、「好きなわけがないだろう。大嫌いだ」。

これは完全にストローマンですね。ゲーリーという脱構築の人の中でもかなりキツめの事例にしてあるところがミソです。さらに、ここでは本人もそのアバンギャルドに疑問を呈しているというスタンスで諸氏に理解を示します。
つまり、もともと諸氏と同じ立ち位置であるかのように擬態しています。

構文7-2 ストローマンを自壊させ論証。
その後に続けた言葉が面白い。皮肉っぽい笑みを浮かべて、「でも、大成功だ」、と言ったのです。

このスペイン人は受けが下手なのか喧嘩キックが当たってないのに自らあっさりダウンしています。小学生に見つかったらガッカリさせちゃうので一応顔面で蝶野選手のキックを受けてほしかったですね。

   ↓充填された語、この場合は次段の意味強化
知っての通りビルバオは、いまだにスペインからの独立運動が燻るバスク民族の主要都市です。

バスクの独立運動は数百年にもわたり、第二次大戦後でもテロ活動で数百人もの死者を出しているという当事者にとっては悲惨きわまりないものなのですが、
容赦なく事例に引き出すところが、福島召喚と同じヒールの戦法です。


構文7-3 合成の誤謬。早急で極端な一般化
ゲーリーの奇妙な建物が出来たことにより、世界中から人が来るようになり、そのことはバスクの存在を世界に発信することになった、というのです。

ここで大技を繰り出します。合成の誤謬(ごびゅう)です。
合成の誤謬とは、早まった一般化のことです。

「Aさんは寿司を頼んだから生魚が好きに違いない」、「Bさんは外車だから外国カブレだ。」といったように、部分の肯定が全体にいきわたるかのようにする詭弁です。
これは、ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロの世界では、かならずしも意図しない結果が生じるケースをいう元々経済学の用語です。

ゲーリーの建物とバスクの存在は世界史的にも政治学的にもまったく関係ありません。ここではスペイン通を醸し出す煙幕の効果も発揮していますね。
さらに言うなら、ストローマンにしゃべらせるという腹話術も用いています。

   ↓前段で好き嫌いの議論を持ち出しているのは本人
好き嫌いを越えた戦略的な発想だと感じました。われわれもこれに習う戦略的な賢明さを持つべきではないでしょうか。


はい!「でしょうか」きました!福島召喚のときと同じ言説です。
「賢明さ」を付加することでゲーリーを称揚することの正当化です。

8.税金投入の是認 論点のすり替え5 媒概念曖昧の虚偽
構文8-1A 7.文からの飛躍、極論1(監修契約でしかない)
そのためには、ザハに最高の仕事をさせねばなりません。
決まった以上は最高の仕事をさせる、ザハ生涯の傑作をなんとしても造らせる、
構文8-1B 8-1前半部Aと後半部Bで媒概念が異なる。
というのが座敷に客を呼んだ主人の礼儀であり、
  ↓前段から無関係に導かれた極論2(税金投入の正当化)
国税を使う建物としても最善の策だと思うのですが、どうでしょう。


もう、税金投入の是非はラッシャーさんに言ってもらった方がいいでしょう。


9.議論対象者の曖昧化
構文9-1 真の議論対象者について

一人の建築家として槇先生が意見を表明されたことには、全く違和感はありません。勇気ある発言に敬意を表します。
  ↓倒置法、本来なら審査員が考えの表明が必要
審査に加わらなかったとしたら、わたしもわたしなりの考えを表明したかも知れません。

ま、もうおわかりのように読みやすい部分はブラフです。
ただ、考えを表明しなければならないのは槇先生でなく審査員です。

ここから、ラッシュラッシュ、エルボー、エルボー、
最後にストンピング!そしてセントーン!ストローマンズスープレックスです。

構文9-2 論点先取と多重尋問、脅迫論証を導出。恫喝2
しかし、ことが署名運動にまで拡がりを見せるとなると、違和感は増すばかりです。さらに、それが組織的に繰り広げられたとなると、看過できないことになります。

署名運動など建築家の諸氏はやっていません。
森まゆみさんたちの市民グループでありここでいうプロレスラーではありません。
そこに向かって、看過できないという脅しです。
看過しないというのならどうするのか、ぜひ追加文書で教えてほしい。

構文9-3 論点先取と多重尋問、脅迫論証を導出。恫喝3
その意味するところが変わってきます。団体名で提出された署名は、その団体の意見表明となるわけですが、その団体はこのプロジェクトに対して本気で水を差す覚悟があるのでしょうか。

つづいて団体批判、この団体って建築士会とか建築家協会のことだと思うんですが、ついに団体を離脱するのでしょうか!前田日明みたいでかっこいいです。


建築界にUインターが設立され団体抗争になるなら、それはそれで建築ファンの私としてはとっても楽しみな展開です。

構文9-4 9-3を受けて 後件肯定の虚偽
建築家の良識とは、その範囲のものだったのでしょうか


「でしょうか」は地雷でしたよね。だからここには詭弁が埋まってます。

後件肯定の虚偽とは「XはYである。Yである。故にXでもある」という風に、
命題から論証なしで逆を導きそれを用いる詭弁です。

この文章は非常に複雑な構造をしていますから、注意深く読んでくださいね。
キーワードは「違和感」という便利な言葉です。
と同時に論証の真偽をいれときます。

まず、
槇先生に違和感はない。                 真
署名運動には違和感がある、見過ごさないぞ。    真
署名運動と団体組織はイコールである。        
建築家の良識とは違うだろ。               
プロジェクトに水を差すものらは見過ごさないぞ。   真 

この流れは

署名運動には違和感がある。         真
署名運動=団体組織だ。           
ゆえに団体組織にも違和感がある。     真
違和感は看過できない。            真
よって団体組織も看過できない。       真

と、だんだんの含有量を減らしていきます。

よって署名運動は建築士会や建築家協会の動きなのだから
看過できなくなってしまう、、
それは諸氏には建築家の良識がないからだ。

めちゃくちゃな論法です。


10.正論 論点先取と媒概念不周延の虚偽
構文10-1A  ↓深めていないのは審査員

ザハの案が、建築的な議論として深まっていかないことも不満です。
あれほど個性的な案が選ばれたのですから、本来なら、建築とは何か、建築表現とは何か、建築には何が可能なのか、というより根源的な議論が巻き起こってしかるべきなのに、
構文10-1B  ↓前段と無関係な主張。「」付けの開始
語られているのは「分かりやすい正義」ばかりです。

議論したくないのは本人だと2.で立証されていますからまあいいでしょう。
注目すべきはここで初めて「」で強調された「分かりやすい正義」の出番です。
なんか、リングス時代の前田日明みたいになってきました!!


11.主文 主観 個人的意見?審査員権限には計画案調整も含む?
構文11-1   極論4(小ぶりにはなっていない)

要望書を待つまでもなく、事務当局では規模や予算調整に動いていましたが、現在示されている縮小案は、ずいぶん小振りになり、景観的にも絵画館から見てそれほど威圧感のないものになりました。
構文11-2
観客席の肩を流線型の形の中に収めた形態は、審査で目にした他のどの案よりも数段控えめなものになったはずです。


虚偽です。
これは
新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について15でビラビラを取っただけでなんら大きさが変わったわけではないことを説明済みです。

12.主文 主観
構文12-1   ↓ザハの発言なのか
ザハは、東京という巨大都市のアイコンを造る、と言ったわけですから、あまり控えめになりすぎるのも心配です。わたし自身は、どうせやるのなら、この建物に合わせて東京を都市改造する、くらいの臨み方がよいと思っています。

この文書初めての主語「わたし」です。

13.主文 他事例と比較
構文13-1  

大会開催後改修して規模を小さくしたロンドンのオリンピックの会場と比較して、8万人収容の問題も縮小案の俎上に上がっています。ロンドンには、この会場以外に8万人規模の収容人員を持つところが二つもあるわけですから、一概に規模だけを問題にするのは早計です。

14.論点のすり替え6 媒概念曖昧と不周延の虚偽と合成の誤謬です。
14-1

東京という都市は、上海、香港、ソウル、シンガポールなどとコンペティティブな関係にあります。
14-2
新興勢力の前に負け戦が続いています。
14-3A
縮退は麗しい美学かも知れませんが、
14-3B
意欲的な改革無くして、 
14-3C
高齢化圧力が増すばかりの東京が都市間競争の負け組になるのは明らかです。
14-1と14-2と14-3に論理的つながりはない。
特に14-3A、B、Cは一文の中ですら論理の一貫性欠く



はい!「かもしれません」の後はいつも論理の飛躍でしたね。
ここが、「ジェットストリームアタック」です。
合成された危惧です。



15.主文 8万人集客条件の是認 主観
個人的な見解ですが、8万人規模の集客が数多く生まれるような都市になるためにはどうしたらよいのか、そのような東京を造っていくのにはどうしたらよいのか、と考える方が前向きの考え方ではないでしょうか。

「よいのか」、「よいのか」ときて、
「考える方が-前向きの-考え方」、循環論証です。



ここからサブミッションが光るシーンが始まります。

16.伝統に訴える論証と新しさに訴える論証をミックス
16-1 歴史的事実

もともと神宮外苑は、体力の向上、心身の鍛練の場、文化芸術の普及の拠点として造営されたものです。

はい、そうです。文書と読者、両者にらみあいの展開です。

16-2 16-1文を繰り返しながら一部(文化芸術)を消去
大隈重信が明治天皇の墓稜祭祀の場として、森厳な杜とすべし、と言った内苑とは対照的に、明治天皇が好まれた近代スポーツの場として、開かれた場所として造営されたことに始まります。


歴史的知識の力くらべですが、誤記があったそうですね。
誤記ね、、まあ揚げ足はとりませんが、
内藤さんは確かお墓の専門家で売り出したはずなので、慌てたでしょう。
重要な点は、16-1にあった文化芸術をいったん取り下げてるとこです。
次で充填します。

16-3 16-2文で抜いた部分に付加語(新しい)を充填加工して戻す。
歴史性を問うなら、その発祥は新しい文化を取り入れ育む場所だったことも思い出すべきです。

16-1で流した歴史的記述に勝手に「新しい」をすべりこませました。
かつてのザ・デストロイヤー選手が使うギミック、
歴史的マスクの下に隠した凶器ですね。

16-4
時を経て、絵画館前の並木道など、緑多い都市公園として市民に親しまれてきたのも理解できます。わたしもあの場所がとても好きです。

ピッチャーここは一球外して、感情論「好きです」を入れましたから、
次で勝負球が来ます!

16-5 論点のすり替え7  16-3の効果により「新しい東京」の正当化
その一方で、都心にあるこの場所の活用の仕方こそが、新しい東京を造る上での成否を握っているとも言えます。

はい!「歴史を守る=新しいことをする」にもっていきました。
見事な詭弁です。
ここも、「ジェットストリームアタック」です。


17.論点のすり替え8 媒概念不周延の虚偽
17-1   構文14から一般化

この国では、とかく縮小方向で議論をまとめていく傾向があります。

「この国」と大上段に構えました!何が来るのか?

17-2   17-1同義

無駄遣いをやめる、節約が美徳。

日常語句「無駄遣い」でした。一球外してます。

17-3   ↓前段と無関係な主張。レッテル「」
そちらの方が「分かりやすい正義」になりやすいからです。

日常語句をつかったので「分かりやすくなったはず」と判断したのでしょうね。
レッテル張りました!さあ、勝負球来ます!

18.次19への導入部 論点のすり替え9 媒概念不周延の虚偽
新しい国立競技場は、その姿形からして目立つという点で分かりやすいターゲットの出現ですが、今現在、掲げられている錦の御旗に依拠している限り、建築の文化に資するような議論には発展していかないでしょう。

さあ、上記文はややこしいですよ。
まず頭が
「新しい競技場=目立つ=分かりやすいターゲット」と語りのストローマン立てて
「掲げられている錦の御旗に依拠」ともう一体、依拠したストローマン!
ダブルストローマンです。

ダブルでストローマン立ててますから、思いっ切り、ラリーアット来ます!

文化に資する議論に発展していかないでしょう。

ここで書かれている結論は、
諸氏が節約を美徳と考えるなら ― 文化に資することはない。

AならBのつながりに因果律のないパターン、因果律破たんの虚偽です。
これ本当によくつかっていますが、
さすがにストローマン相手のときでは思いきりがいいですよね。
キレイに詭弁が決まっています。

続いて加害者をねつ造して被害者となる同調論証が始まります。
19.加害者的ストローマン登場 論点のすり替え10 
19-1  ストローマンからの攻撃報告

異議を唱える諸氏は、振り上げた拳をどこに下ろすつもりなのでしょう。

諸氏はいつのまにか拳まで振り上げさせられました。
諸氏はテロ、反乱軍、横暴という印象操作です。(バスクの効果も)

19-2  ストローマンからの攻撃を報告
国立競技場の建設を止めさせれば満足なのですか、オリンピック招致を見送れば満足なのですか、どこまで成果が得られれば矛を収めるつもりなのですか

事実ではありません。
「諸氏は国立競技場の建設を止めよ」などとは言ってってません。
諸氏は矛(ほこ)を、、と弾劾していますが、矛とは武器のことです。


この「蒼天航路」のひとコマで、右の張飛がもっているのが矛です。
諸氏をこのような状況であるといっております。

19-3  ↓ストローマンへの問いかけ
そう問いたい。

問うております。いまだ拳も矛もかかげていない架空の諸氏にむかって。


さあ、ここから試合もクライマックスに向かいます。

20.私怨を示唆、問題点の矮小化  論点のすり替え11 
20-1 

わたしは、あらゆる論理の手前には感情がある、と思っています。

いきなり暴投です。この後からの配球が非常に興味深いのですが

20-2   ↓おそらくこの文章内で3番目に傲慢な見解です。
コンペの枠組みを作った官僚的な意志決定のシステムについては、震災復興で相手にされなかった憤懣が渦巻いているはずです。

意味がまったくわかりません、主語がありませんから。
憤懣(ふんまん)と難しい漢字が入っていますが、暴発寸前の怒りといった意味でしょう。

20-3   ↓私怨をねつ造、問題の矮小化
さらには、わたしも含めた審査委員に対する嫌悪もあるでしょう。

勝手に嫌われていることにしてしまいました。
諸氏は、(矛を掲げているので)議論でなく好悪で判断している可能性です。

20-4 自己被害者化
市井の建築家なのに、権力の片棒を担いでいい気になっている。そういう気分が働いているはずです。そういう無意識に突き動かされた感情が、諸氏の言葉の裏側に貼り付いています。分かりやすい目に見えるターゲットが現れ、そこに噴出する出口を求めているかのように見えます。


もう、これは何をかいわんや。
傲慢の極致ですねえ、
つまり諸氏が妬みによって行動している可能性を示唆です。

諸氏の言葉をもう一度思い出してみましょう。
要望1 外苑の環境と調和する施設規模と形態
要望2 成熟時代に相応しい計画内容
要望3 説明責任

諸氏の無意識の言葉の裏には(権力の片棒をかついでいる、市井の建築家なのに)いい気になってやがる、、云々
ここのポエムっぷりには、解体する気すらおきません。


21.感情論へ転換 論点のすり替え12 
21-1
手前にそうした感情がある限り、批判のための理屈はいくらでも立つでしょう。

21-2 ↓おそらくこの文章内で2番目に傲慢な見解です。正義から「」外す。
神宮の外苑の景観など、いままで一顧だにしてこなかったのに、いきなりそこに正義の根拠を求めるようになる。
感情に訴え、署名を求めるには分かりやすい話です。

ポエムです。

22.本件とは別の問題提起 論点のすり替え13 
22-1  ↓配慮を欠いた論旨(福島召喚2)
しかし、三陸や福島はいいのでしょうか。あそこで蠢いているのは、旧弊にとらわれた法律や制度そのものです。
放射能をどのように処理するのかという答えのない問いです。

再度福島召喚、場外乱闘に誘っています。

22-2  ↓おそらくこの文章内で1番目に傲慢な見解です。
分かりやすいことには過剰に反応するのに、分かりにくくより本質的な問題には黙する、というのはおかしい。
もし、市民の立場に立つというのなら、良識を標榜するのなら、署名を集めるのなら、本当に怒る相手を間違えているのではないでしょうか。

「ないでしょうか」がありますから、ここは解体し甲斐のある個所です。

23.前回のオリンピックについて  論点のすり替え14
23-1  ストローマン導入

オリンピックは短期間のイベントなのだから、無駄遣いをしないようにしてやり過ごした方が良い、という意見もあります。

日常語「無駄遣い」をつかってますから、ここからもきっと何か埋まってます。

23-2  ↓「ただでも誤解されやすい」を充填
たしかにオリンピックは短期間のイベントですが、世界中の人が東京という都市を目にする機会であり、ただでも誤解されやすい日本という国の本当の姿を理解してもらうのには絶好の機会です。

23-3
 ↓首都高速、新幹線などのインフラに「青山通り」を充填

64年のオリンピック時には、首都高速が造られ、青山通りが整備され、新幹線が通りました。要するに、あのイベントを通して、次の半世紀に渡 る発展の下ごしらえをしたのです。

日常語「下ごしらえ」をつかってますから、ここからもきっと何か埋まってます。

24.一般家庭の話で先験的な感情を惹起
  論点のすり替え15 媒概念曖昧と不周延の虚偽

自宅に客を招くことになれば、それなりに掃除をし、住まいを整えるのは当然のことです。それがわが国の生活習慣のマナーでもあります。これを機会に、東京を次の半世紀に向けて強くするのです。

25. 長い文章の結論
  ↓建築家諸氏に「奇異な形態」論はない

新しい国立競技場は奇異な形に見えるかも知れませんが、

  ↓次のステップとは?
これを呑み込んでこそ、次のステップが見えてくるのではないかと思っています。

結論は「呑みこめ」でしたね。


以上です。

全体のほぼ9割がおそらく詭弁と虚偽です。

目的は、責任感をもって声明を発表した!というエクスキューズを得ながら
何かを伝えようとしているのではなくて、何も伝えないようにしよう、です。
もしくは、なんとか諸氏を止めよう、です。

この読後感の気味の悪さは、坂口安吾の「風博士」とか、
夢野久作「ドグラ・マグラ」の「
スチャラカチャカポコ」のとこみたいでした。

とりあえず、8で全体のまとめをして解題を終わりにしたいと思います。


内藤文書の解題8

内藤文書の解題7
内藤文書の解題6
内藤文書の解題5
内藤文書の解題4
内藤文書の解題3
内藤文書の解題2
内藤文書の解題1

 



内藤文書の解題6

内藤文書の解題8

内藤文書の解題7
内藤文書の解題6
内藤文書の解題5
内藤文書の解題4
内藤文書の解題3
内藤文書の解題2
内藤文書の解題1



どんどんいきましょう。
続いて構文3

この3.から4.にかけては構文として不鮮明なところはあまりなく、むしろ饒舌にわかりやすく展開します。しかしながら、その結論に飛躍があるのです。
そして、まさかの場外乱闘!そして反則攻撃です。

3.主文 論点以外への解答行為

構文3-1 ストローマン導入

設計競技でもっとも重視されるべきは、審査過程に於ける公平性であることは言うまでもありません。審査委員会に、特定の意志が外部から働くようでは、審査も何もあったものではありません。

構文3-2 ストローマンを論破

この点に関して、わたしの知る限り、外部から働きかける特定の意志は、まったくありませんでした。審査過程で意見の相違はあったにせよ、審査結果は、あくまでも審査委員の責任に於いて、委員長によって取りまとめられたものと思っています。


ここは、もうそのままです。特に誰からも問われているわけでもないコンペの公平性について言及し、「そのような事実はない!キリ!」です。

ただのカカシであるストローマンをぶん殴って抑え込みフォール勝ちしています。

文全体が装飾です。


次はこの文中でもっともまともな構文です。

上記のストローマンに勝った勢いですんなり読むことができます。

「ではないかと思っています」も「かもしれない」も「そうなりがち」もありません。


構文3-3 すでに発表された事柄の反復

個性的なザハ・ハディドの案については、建築家諸氏には賛否があるはずですが、あの案の中にある生命力のようなものを高く評価することでまとまりました。

最後に決する際、日本を元気づけるような案を選びたい、という委員長のとりまとめの言葉は、委員それぞれに重みのあるものと受け止められたはずです。





さあ、次から場外乱闘が始まります。




この文中でもっとも卑劣なカ所、震災と福島原発事故への言及により、

後段を正当化しようとする最低のレトリックです。

新国立競技場の規模や景観とコンペプロセスについての議論に対する反論として、まさかの場外乱闘!そして反則技に持ち込まれてしまいます。

この段でフォール負けしてしまう選手も多いと思います。


4.主文 論点のすり替え

構文4-1 先験的な感情を惹起

あの時期のことを思い出してください。大震災の記憶が生々しく人々の脳裏に残っている時期でした。三陸の復興は先がまったく見えず、福島の原発は危機的な局面が続く迷走状態でした。多くの人が漠然とした不安を心の内に抱えていたはずです

。痛みや悔恨が世の中に満ちていて、未来への希望がなかったのです。オリンピックにしたところで、あの時点で東京が招致に成功するとは、ほとんどの人が思っていなかったはずです。


唐突に、東北の大震災と原発事故という話題を召喚しましたね。

これを出されると人として同意せざるを得んでしょう。

一読すると、本人こそが「社会的正義」の発言に聞こえるのですが、

よく読むと物凄い反則技を使ってあります。

そこからの流れで、後段を思い切り正当化しますから。



前段で福島召喚により肩慣らししたので、まず読者にすり寄ります。

構文4-2 同調による誘因

わたし自身も招致の可否については半信半疑でした。

招致が決まった今だから言えるきれい事もあります。


しかし、あの時期を思い起こせば、

ザハの案に決定して良かったと今は思っています。


あの時期を思い起こせば、、とくれば

オリンピックだからといって東京のみに予算集中投下があっていいのか。が、建築・土木にかかわる人たちの常識と思いますが、

違います。しかしなんか説得されそうです。


そして、招致が決まった今だから言えるきれい事

いったん、諸氏をバカにします。

この文は攻撃と同時に防御にもなって、後段で凶器として使われます。


しかし、あの時期を思い起こせば、

ザハの案に決定して良かったと今は思っています。


「震災も事故もあったんだから、ザハでいいのかな。」

これ、無関係の事柄なのに非常に説得力があるかのようなんです、が!

このカ所に注目してください。

ザハの案に決定して良かったと「今は」思っています。

言葉の入れ替えと得意の曖昧迷彩により本意が隠されていますが、


実はこの文


あの時期(震災・原発事故)を思いおこせば、ザハの案に決定してよかった。


ではないのです。>


「今は」です。


「今は」は前後の関係から、「オリンピックの招致が決定した今は」と補完できるでしょう。


招致が決まった今だから言えるきれい事もあります。

しかし、あの時期を思い起こせば、


の「しかし」は無意味な接続語であり

「東北震災や原発事故をおもえば、」は身を隠す藪(ブッシュ)、

として話の出汁につかっている。


あくまで、「思っている」は「今は」にかかっています。


あの時期(震災・原発事故)を思いおこせば、

ザハの案に決定して良かった 


だけではなくて、同時


ザハの案に決定して良かった 

と(東京オリンピック招致が決まった)今は思っています。
 

「ザハの案に決定してよかった」を重心にして左右がダブルミーニングに

なっており、ちょうどヤジロベエのようにどちらにも傾かせることができる

文章なんですね。

震災を思えばザハがよかった、オリンピックを思えばザハがよかった

と書いてあるのです。

東北震災や原発にかけながらすごく変な文章なのは、

接続詞を取り換えてあるからなんです。


今はザハに決定してよかったと思う。

時系列の入れ替えです。
東北震災・原発事故→新国立競技場コンペ→ザハ→オリンピック
というのが正しい時系列です。

今は思う、とくれば普通なら「以前はそうでなかったんだが、今は」
と使うべき流れですよね。そうだとすると、この文章を論理的に復元するなら


あの時期(震災・原発事故)
はダメだと思っていたけれど、「今は」ザハの案に決定して良かった。

となるはずなんです
変でしょう?この文章。なぜならザハと震災は直接関係ないし、時系列も逆なのに、「ザハがよかった」に「震災」をくっつけようとしているからなんですね。

そして、文章をこのヤジロベエ状態に不安定なまま放置してある。
理由は、この文章の改造前の正しい形は以下だろうと推測できるからです。

しかし、あの時期を思い起こせば、

ザハの案に決定して良かったと「今も」思っています。


「は」ではなく「も」、
「は」だというなら以前は良いと思っていないことになるけれど、
震災のときにはまだ新国立競技場は改修案で検討中であり、
思い起こして、「福島召喚」の術をつかっても、「今は」にならない。

結果として、震災や福島を召喚したうえで

しかし、あの時期を思い起こしても
今もザハだと思っている。


なんです。凄い反則攻撃でしょう?「今だからいえるきれいごと」と対関係です。


この場外における反則攻撃はミスター高橋もジョー樋口も見抜けんでしょう。
 




5.論点のすり替え2 

構文5-1 論点先取と多重尋問

これは好みや建築的な主義主張の問題ではありません。

あの案がオリンピック招致に果たしたであろう役割も思い出すべきです。あの思い切った形は、東京の本気度や真剣さを示すという大きな役割を果たしたはずです。


多重尋問とは、多数派に属さないと不利になるという脅迫論証を間接的に用いて、例えば「Cも早く予約するべきだ。みんなもそうしている」といった具合に、

説得するのが典型例です。

本文の前段4.で東北震災と原発事故という多くの人が納得する詭弁から「ザハに決まってよかった」と論証できているつもりなので、


これは好みや建築的な主義主張の問題ではありません。


ここでは、「個人的好みにこだわっている場合ではない」

「一個人の主義主張など問題とすべきではない」


(前段の東北震災の事故に比べれば)と諸氏の意見を矮小化、少数意見であるかのように追い込み、次の論点先取の詭弁にバトンタッチします。



論点先取というのは、本来これから議論すべき内容を主張の前提に含ませる詭弁の技です。たとえば、(Aさんがサボり癖があるかどうかがテーマの議論に)

「Aさんは勤勉だから怠けない。」と答えるような戦法です。


構文5-1などそのまま詭弁です。

あの案がオリンピック招致で果たしたであろう役割は、~~~~~大きな役割を果たしたはずです。




次は危惧ですね。危惧の正体はもうやりましたね


構文5-2 同情論証 警告3

高邁な論議とは異なる次元で、おおいに危惧していることがあります。それは設計者であるザハのやる気です。


築の設計者であれば誰でも了解できることと思いますが、建物のレベルは設計者の情熱の絶対量に掛かっています。


設計者がどれくらいの精神的なエネルギーを投下するのかによって、建築のレベルは大きく変わります。


ここまではすんなり読めますね、内藤文書を読み解いていくと気づくことがあります。それは、すんなり読めるまともな部分には、あんがいは主張は隠されていないんです。読めるところはブラフだったり本意を隠すための藪(ブッシュ)として機能しているケースが多いんです。


 

>逆に、口語体(話し言葉)や「思っている」や「めんどくさい」が出たきら要注意です。そこに詭弁に紛らせて本意が眠らせてありますよ。


当選したけれど、あれこれ面倒くさいことばかりで嫌気が差し、担当者任せ、実施レベルの設計者に任せっぱなし、という状況が生じるとしたら、あの建物は規模だけ大きい二流の建物になってしまいます。


きました!媒概念曖昧の虚偽とストローマンと因果律の破たんカ所です。

前回やったので、大体想像できますよね、ここの詭弁は


ザハにしてみれば、座敷に呼ばれて出かけていったら袋叩きにあった、という 気持ちかもしれません。


はい!「気持ち」と「かもしれません」きました!


構文5-2 論点先取と多重尋問
そうなれば、それこそ国税一千数百億を使った壮大な無 駄遣いです。
6.論点のすり替え3 
構文6-1 ザハをストローマン化

ザハはソウルで巨大な美術館を完成させつつあります。東京の建物はそこそこでいい、ソウルの建物こそが自分の作品だ、ということになったらこれ以上残念なことはありません。


ストローマンを立てて、媒概念曖昧の虚偽に循環論証という合わせ技は、

内藤文書でいうフィニッシュホールドなんです。

ボクシングでいうところの「ワンツー!パンチ」とか、

黒い三連星の「ジェットストリームアタック」に相当します。





で、構文6-2はあまりにひどい出来のストローマンでしたので、

削除されてしまいました。


恫喝も消えてしまいました、つまらん。


ここ、一番バカバカしい(プロレスでいう)「アングル」で、かつてのラッシャー木村にも通するような、

「こんばんわ、ラッシャー木村です。世論を誘導している諸氏はその責任を取る覚悟があるんでしょうかー!!」
マイクパフォーマンスの見せ場だったのになあ。




構文6-2 ヌーベルをストローマン化
ジャン・ヌーベルの基本設計による汐留の電通ビルは、ヌーベルにとっては不本意な作品だと聞きます。彼にとっては、自分の作品ではない、ということなのでしょう。
実際、ヌーベルらしい切れ味はなく、中途半端な印象は免れません。あまり話題にもなりませんでした。
構文6-3 6-1、6-2を受けて一般化
神宮のザハは、汐留のヌーベルにしてはならないのです。
構文6-4 6-3から脅迫論証を導出。恫喝1
ザハのやる気に関して、今現在、世論を誘導している諸氏は、その責任を取る覚悟があるのでしょうか。


内藤文書の解題8

内藤文書の解題7
内藤文書の解題6
内藤文書の解題5
内藤文書の解題4
内藤文書の解題3
内藤文書の解題2
内藤文書の解題1



内藤文書の解題5

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内藤文書の解題7
内藤文書の解題6
内藤文書の解題5
内藤文書の解題4
内藤文書の解題3
内藤文書の解題2
内藤文書の解題1


どうも文字数が多すぎてうまく保存できないので

2.の解説を分けました。



つづきです。


2.主文 発言主体の明示

以下に述べることは、現在の全般的な状況に対するわたし個人の見解と危惧です。

触れることができる範囲のことと自分の考えを述べ、以後、質問にお答えすることは控えたいと思っています。

構文2-1 コンペに対する主観

設計競技の手続きに関して、いくつか厳しい指摘がなされていますが、短い時間の中での窮余の策であったことを考えれば、充分とはとても言えないまでも、まあまあだったのではないかと思っています。

               ↓原因の一部を他社に仮託し勝手に反省

世論喚起を急ぐあまり、広告代理店による誤解を招くような事前の情報発信があったことは反省点です。

構文2-2 

設計競技全体の在り方に関しては、類似の案件が生じた場合の対応として、今後に活かす議論とすべきです。

今回の事例を土台に、より良いものに改善されていくべき事柄だと思います。

構文2-3 警告1 ストローマン導入

不備を指弾する声もありますが、普段からこの仕組みを議論の俎上に上げてこなかった自省の弁から始めるべきです。

構文2-4 論点の飛躍1

そうでなければ、設計競技なんていう面倒くさいことはやめておこう、ということになりがちだからです。

構文2-5 論点の飛躍2と拡張1

これは景観の議論にも通じることです。景観を公共財とするなんてまるで意識のないところに、赤白の縞々の住宅が出来るというので話題になったことは記憶に新しいところです。

構文2-5 論点の回避。倒置法

普段から問題意識がなければ、議論は後追いになるばかりです。常日頃が大切です。

構文2-7 対人論証。警告2

署名運動を繰り広げている建築家たちは、常日頃から神宮の景観を議論し、それほどまでに愛していたのでしょうか。絵画館の建物をそれほど愛していたのでしょうか。絵画館に飾られている絵画を一度でも見たことがあるのでしょうか。

2-2では、「よりよきものに改善していくべき」と正論を吐いていますが、これは倒置法であり、今議論するべきコンペのあり方について、「今後に活かすべき」ことがらであると、あくまで、当事者意識を欠いたままの、俯瞰的位置からです。

で、いよいよ最初の恫喝に移ります。


2-3→2-7までの流れは実に見事な詭弁のお手本です。

まず、諸氏たちは(こちらに言う前に)自省の弁から始めるべきであり、
そうでなければ設計競技なんていう面倒くさいことはやめておこうということになりがちだからです。
これは景観の議論にも通じることであり、景観を公共財とするなんてまるで意識のないところに、赤白の縞々の住宅が出来るというので話題になったことは記憶に新しいところです。


この文章は本当に面白いんですが、もう少しわかりやすくします。

コンペについて議論するためにはこれまでに議論したことがないとダメで、まず今まで議論をしてこなかったことを反省しなさい、そうでなければコンペのように面倒くさいことはやめておこうということになりがちだからです

まだ、意味が読み取れませんよね。

なぜなら、ここにはトートロジーが埋め込まれてあり、なおかつ、本来ならくっつかない2つの文章をつなげてあるからです。

もちろん得意の曖昧迷彩も施してあります。

どこがおかしいかというと
「自省の弁から始めるべきであり、そうでなければ設計競技なんて」
をつないでいる「そうでなければ」の前後に因果律がないところです。
因果律というのは、AがあるからBがある、という結びつきのことです。


「なってしまいがちだから」という接尾部分があるために、
「AであるべきであるBでなければCになってしまうから」と機械的につながってしまい読み取ろうとしても意味がわからなくなってしまうのです。

この強力接着剤みたいな妙な接続詞を取ってみましょう。

コンペについて議論するためにはこれまでに議論したことがないとダメである。

まず今まで議論をしてこなかったことを反省しなさい。

コンペのように面倒くさいことはやめておこうということになる。



まだ、変な感じですよね。

その原因は、トートロジーとは循環論証という詭弁の手法なんですが、

前提が結論の根拠となり、結論が前提の根拠となるような言説


この部分です。

議論するためにはこれまでに議論したことがないとダメ

これでは諸氏は生まれてから死ぬまで議論ができなくなりますね。

なので前文からトートロジーを外します。
残るのは、



「まず反省しろ!」です。 ええっえーっ!

で、後ろの文章は

「コンペのように面倒くさいことはやめておこうということになる」

です。


「面倒くさい」もヒドイ物言いなんですが、
この文章内に「めんどくさい」は何度か登場してきますが、
後半でも非常に目立つシーンで使われてきます。
これは、最初の「食傷気味」と呼応強調関係にあるのがミソです。

「やめておこうということになる」も引っ張りまくった言い回しですので
「やらなくなくなる」と単純化できるでしょう。

そのニュアンスも外して、整理すると

原文

「不備を指弾する声もありますが、普段からこの仕組みを議論の俎上に上げてこなかった自省の弁から始めるべきです。
そうでなければ、設計競技なんていう面倒くさいことはやめておこう、ということになりがちだからです。」



という、もやもや文書の正体は以下です。



「諸氏らよ、まず反省しろ。(でないと)今後コンペ制度はなくなるであろう。」



 
 



凄い、、、何かの御宣託のようです。


首領からのお言葉を頂戴しちゃってます。

しかも、このご宣託には因果律がない。




これが、内藤文書の、わけわからんしエラそうに聞こえる理由です。

このままじゃ、なんか、終わらないな。


つぎいきます。


景観についての議論つまりは今一番問題視されている新国立競技場の大きさとか街並みにおける影響の問題についての疑義ですが、

ここでは、通常の文章の流れをいったんバラして逆に組み替えるという技をつかってあります。


これは景観の議論にも通じることです。景観を公共財とするなんてまるで意識のないところに、赤白の縞々の住宅が出来るというので話題になったことは記憶に新しいところです。普段から問題意識がなければ、議論は後追いになるばかりです。常日頃が大切です。


このメチャクチャな語句の順番を元に戻すと


常日頃が大切です。普段から問題意識がなければ、議論は後追いになるばかりです。赤白の縞々の住宅が出来るというので話題になったことは記憶に新しいところです。景観を公共財とするなんてまるで意識のないところに、これは(前項は)景観の議論にも通じることです。


梅津邸の話題を入れることで世間一般に媚びようとしていますが、梅津邸の文章は新国立競技場に関係のない部分なので外します。


常日頃が大切です。普段から問題意識がなければ、議論は後追いになるばかりです。景観を公共財とするなんてまるで意識のないところに、これは(前項は)景観の議論にも通じることです


常日頃が大切です、と普段から~、と景観を公共、、、意識のないところは、まったく同じ文意がダブっていますね。整理してみましょう。


普段から問題意識がなければ、議論は後追いになるばかりです。前項は景観の議論にも通じることです


ちょっと意味がわかってきました。「議論は後追いになるばかり」はストローマンです。取ります。


「常日頃から景観の議論をしていない諸氏は、前項同様である。」


前項同様といえば、コンペの議論をしていない諸氏は、、、でしたね。


結論


「常日頃から議論していない諸氏は議論する資格はない!」


この文章もトートロジー、循環論証で詭弁でした。


さあ、次はとび技や蹴り技ほど目立ちませんが、キメ技としてのサブミッションというグランドテクニックです。この2-7は内藤文書の中でもけっこう綺麗に詭弁の技を決めて、愛とか使ってドヤっているなかなかの見せ場なんです。





原文
署名運動を繰り広げている建築家たちは、常日頃から神宮の景観を議論し、それほどまでに愛していたのでしょうか。絵画館の建物をそれほど愛していたのでしょうか。絵画館に飾られている絵画を一度でも見たことがあるのでしょうか。


これは、、まったく因果律のない言説をくっつけて用いているパターンで、ストローマン同様、内藤文書には何度も何度も登場するのですが、

媒概念曖昧の虚偽です。


媒概念曖昧の虚偽とは、AはBである。CはAであるよってBはCである。

のAが文脈によって違った機能をもっている場合です。

それをうまく応用して逆三段論法にしてあり、

ちょっとした蟻地獄に似たトラップが仕掛けてあります。


文章を分けてみます。

 


署名運動を繰り広げている建築家たちは、常日頃から神宮の景観を議論し、それほどまでに愛していたのでしょうか。


絵画館の建物をそれほど愛していたのでしょうか。


絵画館に飾られている絵画を一度でも見たことがあるのでしょうか。


1.諸氏は神宮の景観を愛していたか?

2.諸氏はその中でも絵画館を愛していたか?

3.諸氏は絵画館の絵画を見たことがないだろう。


ここではけっこうバクチを打っているんですが、

3番目の文がひっかけというか落とし穴のつもりのようです。


これは、諸氏が(どちらかというとリベラル派の現代的なデザイナーゆえ)絵画館の中に飾ってある御維新から明治天皇の事跡を描いた日本画なぞ見ているはずがないという確信から


神宮の景観を愛していたのなら、絵画館も愛しているはずだし、当然中に収蔵されている絵画も見たことがあるよな?

えっ?絵画見たことがない?ホーホッホホホ、じゃあおぬしには、2.を語る資格もないし、1.も語る資格はないのじゃよ。


という、流れに持ち込んで絵画館前の歴史的景観を問題視している意見を封殺したつもりでいるんですね。


これ逆だと効き目がないんです。


絵画館の絵をみたことは→そういえばないかも

外苑の絵画館は好きか→そうだね、いやそれほどでも

外苑全体の景観は好きか→好きですよ、だから外苑の景観の議論しますよ


当然、私は絵画館の絵画を見たことがありますから、

このサブミッションにはひっかからないんですが、

若者とか公園利用としての経験しかない人は、

「そうかあ、そこまで愛していないと議論しちゃいけないのか、、」

と思ってしまうように誘導しています。


内藤文書の前半の主題は、

前文で本人が述べている このままでは議論が深まらないという正論に反して、


「諸氏は議論する資格はない!」

「とにかく、お前らに議論する資格はない!」

「議論なんかさせるもんか!」

「議論したくないんだよ!」


という必死の叫びだったんです。




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